2つの入替戦

提供者: 昭和59年(1984)-藤井孝信。 年度: 昭和59年(1984)。 区分: 寄稿文

私は2年生で2部から1部への入替戦、4年生で2部から3部への入替戦に出場し貴重な経験をしました。2年次では2部リーグで筑波大学に敗れ2位で1部入替戦に臨みました。相手は1部5位の早稲田大学。久々の1部復帰のチャンスでした。早稲田大学はNO.1~3はジャパン資格で立教はインカレ資格と不利な状況でしたが、ダブルスは2-1で折り返し、1部昇格への期待が高まりました。しかし、シングルスはあと1ポイント及ばず、4-5の惜敗。またとないチャンスを逃しましたが、すべてのポイントを取りに行ったオーダーであり、強豪・早稲田大学を相手に精一杯のすばらしい戦いだったと思います。

そして4年生となった最後のリーグ戦は不本意ながら2部5位。3部2位の日体大との入替戦となりました。4-4で勝負の行方は私にかかりました。雨で約1週間順延となった戦いは、現在、亜細亜大学の監督である堀内氏の果敢なネットプレーの前に勝機を見出すことなく完敗。立教大学テニス部史上初の3部落ちとなりました。敗因は守りに入ってしまったことでした。敗戦後、敗戦の虚脱感と同期の阿部と池袋の床屋で二人並んで坊主にした思い出とが残っています。

卒業後は、テニスから離れようと思いましたが、縁あってNTT(当時電電公社)で実業団テニスを続けることになりました。念願の日本リーグにも出場し、いい思い出をつくることができました。大学最後のリーグ戦で歴史的敗戦を喫したことが社会人でも競技テニスを続ける活力になったのではないかと思います。悪いことばかりじゃないですね。

2つの入替戦の敗戦の思い出は卒業して30年経った今でも時々頭の中に蘇ってきます。特に立教初の3部降格の敗戦は一生背負っていくんでしょうね。もう自分では取り返せない思いを後輩たちに託します。誰でも苦い思い出はありますが、現役の皆さんは4年間を精一杯テニスに打ち込んでいい思い出をつくってください。1部復帰を待ち望んでます。