立教大学庭球部創部100周年史への寄稿文

提供者: 昭和46年(1971)-日高啓吾。 区分: 寄稿文

 
 立大庭球部時代の思い出は多く在りますが特に印象に残っている3つをあげたいと思います。

 一つは、入部してすぐの思い出です。仲間の一年生の一人が指名され準備体操の号令をかけることになっていましたが、始めてすぐに順番を忘れミスしてしまい交代させられました。体操が終わったあと「罰」として1周400mのグランドを走ってくるよう当時キャプテン石川さんに言われ本人は3周と思い走って帰ってきたのですが、30周の勘違いでまた走りに行かされました。後でこれを聞いてミスしたら大変なことになると、皆必死に順番を覚えた記憶があります。この時立大のテニス部の厳しさを強く実感させられました。

 二つ目は、テニスコートで大変苦労したことです。確か3年の時「東京都」との契約終了で上板橋のコートの使用ができなくなり、巣鴨や綾瀬のコートを借りて一時練習した時期がありました。その後志木富士見グランドに移りましたが、自分は今でも木造の部室があった上板橋コートの思い出が強く、東武東上線・上板橋駅からコートまでの商店街、食事をした飲食店やメニュ―などよく憶えていて懐かしく思い出されます。余談ですが今、毎週行っているテニスクラブのコートキーパーの責任者の方の亡くなられた父上はテニスコートなど体育施設の建設関係の草分けで都内のコートもかなり手掛けたそうです。上板橋のコートもお世話になっており、立大庭球部部室にあった部員の木札に特別部員としてネーム入り木札があったそうです。大変お世話になったのでしょう。いい話だと聞かせてもらいました。
 
 三つ目最後はテニスプレヤーとしての自分の思い出ですが、まわりの有力選手と違い特に自慢できる戦歴はなく、自分個人として一番印象に残っている試合を取り上げることにしました。3年の春のリーグ戦(対青山学院)シングルスN05で勝った試合です。前日のダブルスで勝てる相手に負け精神的にも落胆し崖淵に立った気分で臨んだ試合でした。ただ極度の緊張感がいい集中力になりストレートで勝利することが出来ました。試合前の緊張感と勝った時の安堵感、喜びは忘れることのできない思い出です。
 立大庭球部で得たものは今でも計り知れない財産です。社会に出ての仕事、勤務先(倉敷、北京・・)での出会い、結婚と家族形成など数えきれません。今は健康の為週2回のテニスで汗を流し、コートサイドでの談笑を楽しんでます。大切な貴重な時間です。

立教大学庭球部に感謝!
これからの立教大学庭球部に栄光あれ!
                            2016.01.30.記