立教大学体育会テニス部 最弱時代の主将として

提供者: 平成7年(1995)-千葉素久。 区分: 寄稿文
fullsizerender
平成7年
千葉素久

 私が主将に任命されたのは、世紀末を迎えようとしている1994年でした。立教大学テニス部は史上最悪の5部に低迷。個人としても関東学生にすらなれず、栄光輝かしい先輩方に歯がゆい思いをさせ続け、いつも申し訳なく思っているばかりの、それまで3年間でした。

 それでもそれから20年たった今は漫画編集者となり、当時の出会いや体験を活用して『ベイビーステップ』というテニス漫画を立ち上げ、今は多くのテニス界のスターと共に仕事ができています。現日本代表ヘッドコーチの増田健太郎さんには数々のトッププロを紹介していただき取材をさせて頂いています。松岡修造さん、杉山愛さん、国枝信吾さん、錦織圭君、この錚々たる方々も協力者です。そして我らがスターOBにして日本テニス協会理事の倉光哲さんにも快くご協力いただき、同じく鈴木宏さんに至っては、漫画の転機になるウインブルドンとフレンチオープンの取材にご協力頂きました。そして現役の皆様には「ロードトゥスペイン チャレンジカップ」の開催でご協力を頂いています。(現場に行けていなくて大変申し訳ありません。毎年本当にありがとうございます。いつまで続けられるかはわかりませんが、編集部でできる限りのことはしています。)

 このように多くのテニス界の方にご協力を得られるようになった今、日々とにかく思うことは、「あの時、一生懸命やっていてよかった」ということです。当時、低迷する部の中心にいた私は、諸先輩方のようにテニスを生業にして生きていけるとは思っていませんでした。だからこそ正直、5部から4部に上がることに全てを懸ける価値はあるのか? という自問自答がなかったかといえば嘘になります。当時は練習なんて、協力いただいているOBの方々を尻目に、サボろうと思えばいくらでもできました。それでも「とにかく徹底的にやろう」という方向に完全に舵を切れたのは、他の代と比べて多かった10人の同級生と、鷲田さんの存在があったからだと思います。過去3年間、残留と降格しか経験していなかった私を含めた11人の仲間には「もういい加減に勝ちたい」という強い思いと、当時トッププロの練習を見ていた鷲田監督が推奨する、現代日本テニス最高峰の練習メニューをこなしているという自負がありました。この1年はどんなに頑張っても最高の結果は4部昇格。それでもそこに全ての力を傾けることを、誰一人拒みませんでした。日々強くなる実感と共に「頑張る価値」などはどうでもよくなり、「最高の練習をしているんだから勝ちたい」、それだけになりました。その思いで一つになったテニス部の主将として、我々のリーグ戦は怒濤の連勝劇で、最弱5部時代に終止符を打つことができました。あの1年は今でも私の何よりの誇りで、輝けるテニス界のスター達と仕事をする原動力になっています。
 
 今、正直全力でできてないかもしれない、と思う現役の選手がいたら、何年生だろうが今からでも絶対間に合います。目の前の一球から、全力で始めてください。