立教テニスに陳謝、そして感謝

提供者: 昭和49年(1974)-鈴木徹雄。 区分: 寄稿文

 県立静岡高校時代、インターハイベスト4という成績を上げ、立教大学テニス部に入部したものの、生来の練習嫌いが災いしてか上達せず戦績は、関東学生、インカレ予選出場がやっとというものでした。(リーグ戦には1回も出場できず)。現役時代のクラブの思い出といえば3年時にリーグ入替戦で明治大学に勝ち1部昇格を果たした事を思い浮かべますが、その他は練習後に仲間と行った日鶏園(焼鳥屋)マルキィ、ネスパ(喫茶店)そして麻雀荘等、アフターテニスの楽しかった事が思い出されます。又、私が唯一の地方出身者という事で、先輩の内原氏、同期の浅見氏のお宅に何度も泊まらせてもらい食事を御馳走になった事もありました。そして卒業後は先輩にお世話になりました。広告会社に入社したのですが、1ヶ月足らずで辞め失業していた時に故宮下好人先輩から沼津ロイヤルテニスクラブを紹介され、7年間勤務し、その後は倉光哲先輩の経営するフミヤスポーツの静岡会場で4年間勤めさせていただきました。その後は独立して現在もテニスコーチを続けています。振り返れば現役時代は仲間に迷惑をかけ、卒業後は先輩にお世話になり、大いに感謝をしています。これからもよろしくお願いします。
 最後になりましたが100周年おめでとうございます。これからもO.B.諸兄の皆様の御発展、そして現役の皆様の御活躍を静岡からお祈りしています。