私と体育会テニス部、そして現役の皆さんへ

提供者: 平成15年(2003)-生島史浩。 区分: 寄稿文

 
 平成15年卒の生島と申します。この度、立教大学体育会テニス部創部100周年に伴い、恐縮ですが私の現役時代の思い出と現役の皆さんに向けた激励を述べたいと思います。

 私は、立教大学に入学と同時に体育会テニス部に入部しました。もともと中学、高校とテニスをしてきて、大学でも続けたいと思い、やるからにはサークルではなく大学で一番レベルの高い体育会でやりたいというのが主な理由でした。1年生の時の記憶を振り返るともちろん練習にも明け暮れましたが雑用など下級生ならではの出来事の方が印象的でした。練習前に約2時間かけてコート整備をし、練習が終わった後コート整備を2時間かけて行うなど「テニス部に入ったのではなくコート整備部に入ったみたい」と思った程でした。また、対抗戦で集合時間に寝坊し遅刻してしまい坊主になったり、コート整備をさぼり、当時の主将に見つかり罰として富士見グラウンドを暗くなるまで走り続けるなど若さ故の失敗も数知れずやった記憶があります。2年生になり4人の後輩が入ってきてくれてようやく雑用から解放されたと思いきや3人が辞め1人だけが残ったため後輩とまた一緒にコート整備をやるという日々でした。3年生になるとさすがに1年生が入るだろうと思ったのですがなんと誰も入部せず男子の総部員数が一時5人という時期がありました。また、私は主務であったため様々な仕事がありこの3年生という1年間は現役時代一番忙しい1年でした。4年生になり1年生や途中入部の2年生や女子マネージャーも入り総部員数が17名になりました。この年からリーグ戦が秋になり幸運にも4年生で初めて憧れだったリーグ戦に出ることが出来ました。結局4部リーグの3位で残留という結果でしたが1戦1戦が本当に思い出深く特に最後の順天堂大学との試合では場所を久我山の朝日生命でやるというリーグ戦では異例なことで負けた時は悔しさしかありませんでしたが時が過ぎるにつれやりきった達成感が沸いてきたのを今でもよく覚えています。
 
 このように私の現役時代は、コート整備やら部員集めやら主務の仕事やらテニスをやりつつ非常に多岐にわたって貴重な経験ができ、充実した4年間だったのかなと思います。
 
 さて、私はここ何年も練習や応援、行事にも参加しておらず現役の皆さんへの激励など述べる立場ではないのは重々承知ですがあえて言わせて頂くとすれば、是非とも今一緒に練習をしている仲間を大切にしてください。私自身現役を引退して13年経ちますがいまでも同期や当時の先輩、後輩とは繋がっており私の数少ない宝となっております。皆さんが現役時代に出会った仲間は皆さんが社会に出てからも必ず心の支えとなってくれます。これからも切磋琢磨してお互いを高めあってください。拙い文章ですが私の思い出および現役の皆さんへの激励とさせて頂きます。