現役時代の思い出

提供者: 昭和47年(1972)-安達幸男。 年度: 昭和47年(1972)。 区分: 寄稿文

  
 昭和43年静岡東高を卒業し立教大学テニス部に入部しました。

 当時、桜台のテニスコートで練習していたと思います。大学にテニスコートはなく、借りていたものと思われます。その後、練習するテニスコートは上板橋、大井町、巣鴨と転々とし、流浪の民でした。志木にテニスコートができたのは、大学3年のころだったと思います。この志木のコ一トが当時は大変、交通の不便なところでして、志木駅から1時間に1本程度の路線パスに乗り降車してから、更に30分ほど歩いていくような立地でした。その上、田畑の中にあり、風が非常に強く、他の大学生からも立教のテニスコ-トで試合となると嫌がられていたものです。

 当時テニス部はお金もなかったせいか、コートの掘り返しは部員でやったものです。農家からトラクターを借り、コートの土を掘り返し、その後は土を田めるために、ひたすらローラーをかけるのです。1日6時間ローラーをかけるのが1週問ほど続いたと思います。このような必ずしも良い環境とは言えなかったことが、格好のトレ-ニングになったり、思い出深い部活動になったのも事実です。

 リーグ戦の成績は残念ながら、良い思いではありません。1年生の時は1部(4校)におりましたが早稲田に坂井利朗、法政には神和住純がおり、ほとんどが惨敗でした。また、2部との入れ替え戦にも敗れ、2部に陥落しました。その後卒業するまでの3年間1部昇格のチャンスはあつたものの2部のままでした。卒業した昭和41年に1部昇格の知らせを聞き、大変嬉しかったことを覚えています。戦績はたいしたものを残せず、名門復活に貢献できずに悔しい思い出ばかりです。

 ただ、ある時は厳しく、ある時は優しかった先輩の方たち、苦楽を共にした同級生、何とかついてきてくれた後輩のおかげで4年間テニス部に所属することができたことに深く感謝しております。66歳になった今でもテニスができるのも、この4年間の賜物だと思います。

 創部100周年を迎えて、その一部ではありますが参加できたことに喜びを覚えます。今後さらに立教大学テニス部らしい独特の風土が形成される部活動によって次の100年を迎えることを祈念しております。