現役時代の思い出<義務応援の続く日々がその後に繋がるとは・・・・。>

提供者: 昭和54年(1979)-加倉井理。 区分: 寄稿文
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S54年
加倉井 理

 私が過ごした現役の年代は1975年~1978年ですが、当時はリーグ戦では2部中位に位置し、1部との入替戦経験もありませんでした。自分としてのリーグ戦は殆どが応援部隊で、4年生の時に1度だけシングルに出場できましたが、残念ながらの敗戦で全く貢献度無く、その後の出場の機会はありませんでした。
 私にとっての印象的思い出は、自分の試合ではなく2年生から3年生の時は個人戦でも大活躍されておられた鈴木宏先輩や鷲田典之先輩、同期では原田豊君、秋元英晴君達が関東学生選手権やインカレの本戦に出場されていて春や夏の個人戦のシーズンに自分の関東学生の予選会が終わると、彼らへの義務応援が日々続いたことでした。特に鈴木さんや鷲田さんは殆どの試合に単複共に勝ち進まれ、特に複では準決勝か決勝戦まで勝ち進んでおられたので、毎日の様に迫力ある試合を応援させて頂きましたし、他校の強い選手の試合も観戦できたので、テニスをする学生の誰もが経験出来ることのない素晴らしい経験でした。この観戦が自分の技量向上に繋がらなかったのは自らの素質と努力不足で残念なことではありましたが、日本テニス界の大勢のトップクラスの方々と面識が持てた私のその後の人生の一時期の道を明るく照らし、開いてくれることとなるとても貴重な機会でした。
 就職は体育会自動車部の同期の友人からの紹介でスポーツ用品の販売会社に就職し、テニスを最大強化テーマとしていたその会社で、所謂、販売促進を担当し、トップクラスの選手にその会社のテニスシューズを履いてもらい、宣伝に繋げ、一般競技者への認知度を上げ、拡販に繋げる目的の仕事を数年間しました。
学生時代に多くのトップ選手を見て、知っていたことが生かされ、とても多くの方々に選手や指導者の方々を紹介して頂いたり、お世話になることが出来、立教OBや後輩は勿論のこと、数々の全日本優勝者、インカレ優勝者、インターハイ優勝者に私のお願いしたシューズを履いていただくことが出来ました。また、その数年間に海外からのそのブランドとの契約選手が国際大会で来日した時に数多くの回数で直接面談しに赴き、英会話も身に着けるきっかけとなり、その後から今に至るまでの仕事にも大きく役立っているほどです。
 今振り返ると、現在セントポールテニスクラブの掲げているダイバーシティやグローバル化の考え方に近いことを立教テニス部を介して学ばさせて頂いたようです。これらのことを思い返すと益々「100周年を迎える喜び」と「立教大学、立教テニス部への想い」が強くなってきます。

昭和54年3月卒 加倉井 理