果たせなかったインカレ制覇(立教プライドを守りたくて)

提供者: 昭和53年(1978)-鷲田典之。 区分: 寄稿文

 
 私は、昭和49年に立教大学に入学した。当時の立教大学は1部で戦っていた。私が立教高校2年の時に1部に昇格した。昇格したメンバーの中心は立教高校時代に2年連続で、インターハイの団体戦で準優勝した先輩達だった。私も高校時代は尊敬する先輩達が敷いたレールの上を駆け上がって行った。高校3年の時、インターハイで単複準優勝、全日本ジュニア単準優勝して、サンシャインカップ、オレンジボウル日本代表となり、デビスカップの強化選手にも選んで頂いた。全日本選手権の予選にワイルドカードで出場し、予選決勝で敗退したが、ラッキールーザーで本戦出場し、1回戦勝ってしまった。この結果、ジャパン資格となってしまった。

 そんな私の大学デビューは惨憺たるものだった。前述した通り、当時の立教大学は、高校時代にインターハイ団体戦で準優勝したメンバーの中島先輩、大里先輩、梅田先輩を中心に1部リーグで戦っていた。そこに、ジャパン資格となってしまった私がNO.1で戦わなければならない状況で出場した。結果は、リーグ戦単複全敗。立教大学も早稲田、法政、慶應(当時は1部4校制)に敗れて下入れ替え戦となってしまい、2部優勝の日大に敗れ、降格となってしまった。更に、個人戦でも、春の関東学生で1回戦負けしてしまい、インカレ出場も危うい状況となってしまった。幸い、一般大会の東京選手権でインカレ選手2人に勝ったことが認められて、インカレ予選に出場することが出来た。予選を勝ち上がって、本選に入り、1回戦勝って2回戦で敗れた。尊敬する立教の先輩達もベスト16に入ることが出来ない状況を見て、大学テニスは甘くない。頑張らないと大変なことになると肝に銘じた。そして、高校時代に醸成された立教プライドを守りたいと強く心に思った。

 幸いにも、1年の時に関東学連の新人合宿、全日学連の新人合宿、デビスカップの強化合宿に参加することが出来て、強い選手に揉まれる機会に恵まれた。このお蔭もあり、2年の春の関東学生で、前年度インカレチャンピオンの待鳥さんに勝って、ベスト4に進出することが出来た。ダブルスも鈴木宏先輩という素晴らしいパートナーに恵まれて、インカレでベスト4、夏の関東学生で準優勝することが出来た。3年になって、インカレでシングルスベスト8、ダブルスで準優勝したが、優勝には届かなかった。必ず優勝すると誓って臨んだ4年のインカレシングルスも準決勝で敗れてしまった。最後のインカレは関西の香枦園テニスクラブで開催され、出場して先に敗れた同期の山下や後輩の秋元、原田、1回戦から応援に来てくれていたマネージャーの井筒、全員、自費で泊まって応援してくれた。そんな彼らには大変申し訳ない気持ちで一杯だった。

 しかし、私の大学テニス部生活は良き先輩、同胞、後輩に恵まれて、大変充実したものだった。誌面をお借りして、改めて御礼を申し上げたい。「ありがとうございました。」

 

追伸 数少ない私の自慢話だが、卒業して2年目の時に、ユニバーシアードメキシコ大会の代表選考会が行われ、そこで勝ち抜いて、日本代表に選ばれたことが、せめてもの恩返しと思っている。

後輩達にも「立教プライド」を植え付けたいと思い、現在、指導している。