我が青春の立大庭球部の思い出

提供者: 昭和57年(1982)-平山元。 区分: 寄稿文
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 立教大テニス部創部一〇〇周年、誠におめでとうございます。又、実行委員並びに関係者の皆様に深く感謝申し上げます。
思えば、栃木の那須の片田舎から立教ボーイを目指し上京し、伝統ある立大庭球部に入部しましたが、当時栃木なまりがなかなか抜けず結局諦めました。

 下級生の時のリーグ戦では、ボールボーイの出で立ちが学ランに学帽で、途中帽子を落とすと坊主にすると脅かされ、左手で必死に学帽を押さえ、右手でボールを追いました。結局坊主にならなくて済みましたが、今でもこの様な素晴らしい?伝統が残っているのでしょうか?坊主と言えば四年生の春の最後のリーグ戦に臨むにあたり、気合を入れるため四年全員で坊主になろうという事になり、(私は最後まで抵抗しました)が、結局全員で坊主になりました。ひねた顔で学ランを着て大学構内を闊歩していたら、応援団と間違えられてしまいました。しかし、その気合が通じたのかリーグ戦で二部二位となり、一部五位の早稲田との入れ替え戦となりました。皆一丸となり入れ替え戦に臨みましたが、結果はポイント四対五で惜しくも一ポイント差で念願の一部復帰とはいきませんでした。が、立大庭球部の伝統と意地は見せられたのではないかと思っております。

 近頃よく自分のIdentityとは何かと考える時があります。やはり自分のバックボーンにあるのは立大庭球部で過ごした四年間であったろうと思っております。今後もこの事を胸に刻み、残された人生を立教オールドボーイを目指して歩んで行きたいと思います最後に立教大学テニス部の益々の発展と皆様方のご多幸を祈りながら、私の大学時代の思い出の寄稿といたします。立教大学テニス部万歳!