恭禧⎾立教大学硬網隊創部100周年⏌

提供者: 昭和31年(1956)-向井和夫。 区分: 寄稿文

迩好、昭和31年経済卒、向井和夫です。

戒厳令下の第1期蒋介石総統時代から6代目蔡女史総統と民主国家になった台湾に住みつき44年、82になりましたが生涯現役+テニスに挑戦元気にして居ります、100周年に存在した幸せをかみしめ拙文を送ります。

⎾友誼至上・スポーツには国境が無い⏌このスロ―ガンを掲げテニスの好きな駐在員、台湾の皆様と組織した⎾台北市養和硬網隊⏌、昨年末100名のOB, テニス関係者、三町先輩夫人のご出席で、盛大に40周年記念会を納める事が出来ました。台北には昭和11年卆の胡春木先輩が居られ、旅行業とテニスコ一トを経営され大変お世話になりました。日本から藤沢陽蔵、田中能穂、山内滋、一条正志、三町正治諸先輩、同窓、後輩の皆様が台北にお見えになり、又リーグ戦優勝の野球部も台湾に遠征して来ました。 2002年11月には池辺良先輩が台湾立教会の会合に出席されました。

現役時代は、新潟中学で始めたテニスを母校で燃焼、一年からレギュラーとして頑張りました、4年の時,念願の一部昇格を果たしました、昇格の喜びに就いては昭和の名マネ一ジャ―小野君にお願いするとして、私の忘れる事の出来ないお二人の恩人に就いて記したいと思います。

お一人は現OB会長の尊父、倉光先輩です。シングルを教えて下さいました、バックハンドストレ一ト、フォアクロス、ドロップショット等々、コ一トをこま鼠のように走り回されたのを覚えて居ります。そのお蔭でリ一グ戦は負け知らず、倉光先輩に教わったテニスを忘れないよう毎週2回続けて居ります。

お二人目は三町先輩です。先輩は⎾迩好⏌と云いながら良く台湾に来て下さいました、先輩は先に天国に召されましたが一昨年旭日小授賞された令子夫人と浩子さんが先輩に代わり毎年台北にお見えになってます。先輩は私のダブルスパ一トナで埼玉選手権優勝5回、シングルスは後輩の私に譲ってくれました。忘れる事の出来ない事として、1979年日台断交の中で,台北で開催されたデビスカップ台湾戦の日本チ一ム団長として先輩が見えました、断交中での国旗掲揚が危惧されましたが養和会と台湾関係者の厚い友情で掲揚、その感激を今でも思い出します。

そして33年前三町先輩の推薦で国際審判の資格を取りソウルオリンピック、北京アジア大会、数々のデビスカップ戦、ATPプロ等の審判、中立国レフリーとして世界のTOP PLAYERをコートサイドで見る事が出来るCHANCE⎾機会⏌を与えてくれた先輩に感謝します。昔、主審を取ったマイケルチャン、べッカ一をAUSTRALIA OPEN PLAYER BOXに見るたびに昔の事がよみがえって来ます。

現役の皆様、男子は2部、女子は1部昇格を目標に、CONCETRATION⎾集中⏌CONFIDENCE ⎾自信⏌CHALLENGE⎾挑戦⏌して下さい、YOU CAN⎾必ず出来る事を信じて ⏌

⎾◀ 加油▶ 立教大学硬網隊⏌           2016年(民国105年)1月31日 台北市 向井和夫