庭球部男女合併とテニス部への部名変更並びにセントポールテニスクラブ発足の経緯について

提供者: 昭和27年(1952)-岸本駿二。 区分: 寄稿文

岸本駿二(‘52年卒)
‘94~‘97年度OB会長

 創部100周年を迎えた立教大学テニス部には、現役・OBによる数多くの輝かしい活躍の歴史がある。例えば①男女とも数次に亘って関東大学リーグの頂点1部リーグで活躍、立派な実績を記録。②対抗戦では関西の雄同志社大との間で他運動部に先駆けて‘28(S3)に第1回を行い以降現在まで連綿と継続。③個人では小西一三(‘62)が‘61全日本学生単優勝、‘66全日本単優勝、‘65~69D杯日本チームのメンバーとして活躍。④三町正治(‘55)が‘70‘72フェドカップ代表監督、更に日本テニス協会常務理事の重責を担いテニス界の発展に貢献。等々枚挙に暇がないが、男女合併・部名改称・セントポールテニスクラブ発足も、100年の歴史の中で極めて重要な改革であった。次にその成り行きを記す。

1、 1995年(H7)6月庭球部阿部宏主将・女子硬式庭球部栁玲子主将の二人が、OB会豊田資朗理事長(‘65)に“男子部と女子部を合併し一つの部として活動したい”と現役の要望が伝えられ、直ちに当時OB会会長職にあった私にその話がもたらされた。
過去に女子部・OG会側から同様の要望が出され、OB会がその申し出を拒否した事実も承知していたが、私も豊田理事長も「当時とは時代が違う、他の多くの大学が男女1つの部として活動している」こと等から、現役の申し出を前向きに捉え、合併の方向で進めるべきと意見の一致をみていた

2、 早速現役の要望再確認と併せてOB会OG会両幹部がこの問題をどのように考えるかについて話し合うため、
‘95年7月11日18:30~ 港区北青山 中華料理店「萬珍楼」に

現役 (男子部)阿部宏主将 (女子部)栁玲子主将
OG  八木下紗絵子会長(‘61)・野田昌子副会長(‘61)・林田千史会計担当(‘68)
OB  岸本駿二会長(‘52)・豊田資朗理事長(‘67)・廣瀬省蔵女子部監督(‘65)

以上の8名が集まった。

*現役両主将とも、男女合併に対する意思は固く、次のような意見が出された。

・現在苦労している新入部員の勧誘・確保も合併が有利に働くこと間違いない。
・同一部で男女が刺激しあい、競争心も高まり、部活動が活発化する。
・練習内容・効率を高めることが出来る。
・多くの他大学が男女一つの部で活動しており、対抗戦もやり易くなる。

* OG八木下会長は“男子部と一緒にさせて頂くことは長年の悲願、是非合併を実現願いたい”と熱く語られた。

* OB側からは、1人年1万円のOB会費(OG年3千円)の多くを現役の部活動援助に向けているが、現状でも決して十分とは 言えない。女子が一緒になることで、男子部への援助が薄まる。などの意見が出されたが、協議の結果

・現役男子部・女子部合併の方向で進める、時期は来年(‘96)4月1日。
・部の名称を庭球部からテニス部に改称する
・現役が同一部になれば現在別組織のOB会OG会も来年6月の総会時に合併する。
以上の通り両幹部は合意し最初の話し合いは終わった。

3、 体育会運動部の新設・廃部等及び部長任命は大学内の決定事項であるため、上記話し合いの一週間後の7月18日昼、大学構内セントポールズ会館に庭球部長栗原謙二教授・女子硬式庭球部長舟田正之教授・神山学生部職員の三方にお集まり頂き、岸本より7月11日の結論を踏まえて、両部合併についての現役の希望とOB・OGも同様の意向であることを伝え、両部長の同意を得ると共に、大学内での手続きをお願いした。

その後大学内の「体育会各部主将・主務会議」及び「教授会」に両部合併に係る件が上程され審議の結果、

*両部を合併しテニス部と呼称する。
*期日は‘96年(H8年)4月1日とする。
*部長・副部長制をとり、部長 栗原謙二教授・副部長 舟田正之教授を任命する。
*大学支給の監督コーチ交通費は1部分(対象1名)となるが、暫定処置として向こう4年間2部分(対象2名)を支給する。

以上の通り承認・決定。その通り実行された。

4、 OB会・OG会では、合併後の名称・規約・役員案並びに合併後の部及び会の運営について、数度のOB・OG両幹部話し合い、再三のOB幹部会、2回のOB理事会を開催するなど、精力的に取り組んだ。特に規約及び今後の運営については、前記幹部のほか、浅見豊理事(‘74)・梅田憲司理事(‘75)・鷲田典之男子部監督(‘78)の参画を得て案を策定。
‘96年(H8年)6月19日 18;30~ 日比谷松本楼にて合併総会を開催し、会の名称・規約・役員案が承認され、これまで庭球部OB会、女子庭球部OG会として別個の組織で活動していた両会を一本化、「セントポールテニスクラブ(SPTC)」として正式に発足した。なお、OG会費は年7,000円に引き上げられた。

5、 上記合併総会をもって正式に発足した「セントポールテニスクラブ」の、より強固な組織化とOB・OG の親睦を図るため、中島幸彦実行委員長(‘75)のもと‘96年10月5日(土)都ホテル東京(白金台)にて「OB会OG会合併・SPTC発足記念パーティ」を約120名の出席を得て盛大に開催された。

テニス部女子が‘96年の合併を跨いで4部から‘98年に1部へと連続昇格を果たす未曽有の快挙を成し遂げた。勿論現役選手の頑張りの成果であるが、廣瀬省蔵監督と複数のOBコーチによる指導及び諸援助の面で、男女の合併が有効に働いたことも事実であろう。

男子・女子リーグ戦にOB・OGが相互に大勢応援に駆け付ける姿、委員会・理事会・総会でOBOG役員が一体となって議論する様子は、今や当たり前となっており、合併が極めて適切有効な改革であったこと、改革から20年の歴史の重みを感じている。

<2016年1月記>