女子硬式庭球部創立の経緯

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昭和36年社会学部卒
八木下紗繪子

昭和31年、学問よりもテニス中心の充実した学生生活を送る意気込みで入学いたしました。すぐにテニス部入部を希望したところ、今までに女子入部者の前例がなかった事と、男子が1部に在籍し黄金時代をまっしぐらに走り続けておりましたので入部に関して戸惑われお断りを頂きました。しばらくして、当時の三町監督、倉光コ―チ、OBの方々のご理解のもと年々、大学に女子学生の入学が増え、テニス部入部希望者も出てくるのではないかと想定のもと試みとして入部を許可されました。入部に関して三つの条件が守られるならばとの事でした。

1.女性としての扱いはしない
2.風紀を乱さない
3.部内での恋愛はご法度

1は、特に着替えの問題でした。部室の裏に管理人さんご夫妻の住まいがあったので、そこで着替えさせて頂きました。
2は、当時私は真っ黒で、金太郎の様に逞しく{キンタ}と言うあだ名まで頂戴していましたので、問題なかったと思います。
3は、ちょっと戸惑いを感じました。大学で将来テニスができるパートナー探しを夢見ておりましたので....

お陰様で同学年や先輩達の温かいご指導のもと、何とかクリアできたのではないかと自負致しております。当時のマネージャーの方に、女子一人入ったおかげで、男子のテニスウェアのみだしなみ〔洗濯など〕が良くなったとのお話を頂き安堵したのをおぼえております。

私にとって入部での生活は、決して甘いものではありませんでした。当時美智子妃殿下の影響でテニスブームとなり女子の入部者が多数あり、うれしい悲鳴をあげたと同時に初心者ばかりでしたので現状では女子の面倒を見きれないうえ、男子の足をひっぱりかねないとの悩みに変りました。男子が全面的に協力するとの条件のもと同好会として33年に独立致しました。男子コーチのお蔭で関東学生、毎日トーナメント、同志社女子との対抗戦等で活躍できるまでに充実した毎日を送る事が出来ました。

35年に部に昇格することになり、平成8年、時代の流れと共に男子部と合併致しました。今考えるとよくも合併まで存続できたと感無量です。OBの方々のご尽力、ご理解なしには歩むことができません。部員の確保、経済的な面、今は男子のお蔭で何一つ心配することなく勝負のみで月日が流れており感謝しても感謝しきれません。もう一つ女子の駆け出しの時、忘れてはならない想いでがあります。浅間高原での合宿の時、松本にお住いの31年卒のOB、故野口和英様が合宿場の手配,応援、差し入れ、帰りの汽車の手配、食事等全面的にご配慮を頂戴し、こんなに女子部のためにご尽力くださるのだから、必ずやり遂げなければならなと肝に命じたのを想いだしております。

100周年に当たりお礼も感謝の気持ちもお伝えする事ができず残念でございます。女子テニス部30周年のおり、奥様とお墓参りのお約束をしておきながら、前日私共のアクシデントでお断りしてしまい、私のテニス人生の中で悔いを残しております。書面をもって奥様にはお詫びを申し上げたいと思います。今現在女子の存続は野口先輩のお蔭があったからこそと言っても過言ではありません。

これからのテニス部のますますのご発展を願い期待しております。