大きな財産

  
 昭和最後の年、私たちは女硬テに入部しました。

 目の前にずらりと並ばれた4年の先輩方は、それは大人に見え、貫禄と威圧感に背筋がピンと伸びました。

 何もわからないまま、先輩方の顔色を伺い、走り回り声を張り上げている毎日が始まりました。

 夏に男子部と合同の納涼会が新学院で行われ、女子部は手料理で男子部をもてなす、1年は芸をやる、という習わしがありました。我らの代は、とにかく先輩方に喜んで頂きたい一心で、泊まり込んで芸の練習。(確か、少年隊の『君だけに』に合わせて女硬テの準備体操を真似した感じでした)練習のお陰?か必死さが伝わったのか、当日先輩方はとても喜んで下さり、私たちも女硬テの一員として認められたかなと、嬉しくなったことを鮮明に覚えています。

 そう、私たちの代はおそらく、1年気質のメンバーが揃ってしまっていたようで、思い出すことが下級生時代のことばかりです。

 合宿の帰りにボールを置きに行き、そのままついでに、あの物凄いレトロで味のある?女子ロッカーの大掃除をした事、合宿の宿舎からテニスコートに行くバスの中で『ドナドナ』を歌っていたこと。合宿の食事中、隣の先輩のご飯があとひと口になったら『おかわりいかがですか?』とすかさず声を掛けないと罰ランになる事、お菓子を持って行っちゃいけないので、カロリーメイトのチョコ味を皆で分け合って、お菓子代わりにした事・・・。

 思い出話はテニス以外の1年の時の話ばかり。

 先輩方にいつも使う『お荷物お持ちします』『ご案内します』『すみません、ありがとうございます』これらの言葉は、今でもすんなり出てきます。

 社会に出て、この頃の習慣は本当に役立っているな~と実感します。

 もちろん当時は、シンドイ~辛い~もう嫌だ!と思った事もしょっちゅう。でも辞めるという選択はありませんでした。『辞める時は同期全員で』そして『大学も去る』と思っていたんですよね。

 2つ上の学年がいなかったので、4年生が引退なさると2年生幹部と私達1年生との2学年体制。

 時代は平成に変わり、広瀬監督、鈴木コーチ、大塚コーチのご指導のもと活動しました。

幹部学年になった時に新座キャンパスの体育館が完成し、少しの間神学院と新座の両方で練習しました。スポーツで秀でた学生が入って来たのもこの年でした。時代の変化を感じた年に引退。

 谷間の代で、戦績も全く揮わず。

 それでも本当に同期に恵まれ、もちろん先輩後輩にも恵まれた4年間。

 リーグ戦の横国との試合で、粘るべき所で打ちたい気持ちを抑えらず、狙ってアウト。

 そこで流れが変わって負けたあの一球・・・。

 仲間とこの一球が、私にとっての大きな財産です。

 100周年を迎え、時代と共にテニス部も変化していく事でしょう。
 
 大学自体のシステムも変わってきていますし、OBOGのお力添えもあって、どんどん成長していくのでしょう。

 それでも変わらないもの、変えてはいけないもの。見極めを大切に、まだまだ続くテニス部で、いっぱい財産を蓄えてください。