同  期

 
 昨日まで下っ端の1年生だった私たちは、ある日突然幹部学年になった。入部時からわかってはいたが、心構えはそれほど整っていなかった。練習の進行も球出しも、それはもう不慣れでぎこちなかった。多くのOB・OGの方々にご心配をいただき、足をお運びいただき、叱咤激励していただいた。特に2つ上の先輩方は公私にわたりよく面倒を見てくださったので、私たちも練習は真面目にやっていた(つもりだった)。

 監督やコーチに言われたとおり、先輩方の見よう見まねで日々を過ごし、秋の対抗戦で負けると「このままじゃ4部に落ちちゃうよ。まずいよ。」と口では反省しながら、どうすれば強くなれるかを深く追究することなく、幹部1年目のリーグ戦をむかえた。甘かった。全敗。降格。

 幹部2年目はみんな少しづつ変わっていった。チーム内のどんな些細なことも皆で話し合い、思っていることはちゃんと言葉にして伝えることに努めた。他力本願とか他人依存の気持ちを封印し、自分たちに何が足りなかったかを考え、各々が覚悟を持ち、チームのために行動するようになった。

 加えて、1年間頼りない私たちとともに過ごしてきた、素直でギャグセンスの高い1つ下の後輩たちがいつも部を明るく盛り立てて支えてくれた。

 残念ながら2年目もリーグ昇格は叶わず、「1年で3部復帰」の目標は果たせなかったが、1年目とは違う清々しさとほんの少しの自信がうまれた。

 思えば2年間の幹部経験はつらくて長いと感じることもあったが、そればかりではなく、「ちょっとラッキーかも・・・」と思うことも結構あった。私たちの頃は6大学野球の優勝パレードなどのおかげで体育会の中が活気づいていたので横のつながりでいろいろな部の人たちに応援してもらった。年に1度の同志社大学や同志社女子大学との定期戦では幹部全員が1度は京都遠征に参加できたことも楽しい思い出だ。

 また何より、1年目に無様な負け方をした私たちが、後輩たちに「はい、あとはよろしくね」ということにはならず、同じ目標に向かって同じメンバーで再チャレンジする機会を与えられていたことは本当にありがたかった。

 もしかしたら硬式庭球部100年の歴史のなかでは戦績も実績もない最弱(?)な代かもしれない。それでも私にとって同期は宝物。その仲間たちと過ごした時間や経験も宝物だ。

 今でも誰かが声をかければすぐに集まる6人。皆アグレッシブにパワフルに人生を突き進んでいる。いつ会っても私に安らぎと刺激を与えてくれるこの同期たちとの出会いに心から感謝している。