入替戦

提供者: 昭和53年(1978)-山下哲夫。 年度: 昭和53年(1978)。 区分: 寄稿文

 
 1年次、日大に大敗し、2部に降格した我々は2年、3年次とも1部との入替戦には届かず、残留という結果となりました。

 そしていよいよ自身最後のリーグ戦となる52年春、今年こそという思いとは裏腹に、直前の浜松合宿からつまずいてしまいました。

 当時流行していた風疹にレギュラー3人が羅患してしまい、最初から参加出来たのは、副将の私とレギュラ候補2~3名という厳しいスタートとなってしまいました。ダブルスの試合等もペアが揃わないため、合宿期間前半は全く行えず、全員が揃った後半も出遅れが影響し、充分な練習が出来なかったと記憶しております。

 さていよいよ本番のリーグ戦ですが、合宿の練習不足、それに起因する士気の低下、そして決定的な我々の実力不足により、3戦全敗となり、3部との入替戦となってしまいました。特にダブルスは3戦とも1-2の負け越しでシングルスに優位な形で入っていけなかった事が大きかったと思います。

 入替戦の相手は筑波大でした。戦力的には互角と思われ、やはりダブルスでリードすることが2部残留の必須条件でした。しかし悪い流れを止められないまま、ダブルスは0-3を喫してしまい、いよいよ追い込まれてしまいました。しかしシングルスは、全員いい開き直りが出来て戦えた結果、5-1となり結果5-4で勝利し2部に残留することが出来ました。

 この年に我々4年生で試合に出たのは、絶対的エースの鷲田君と私の2名だけでしたので、3部に降格させて卒業という最悪の結果を防いでくれたのは、下級生達の頑張りでした。自分も還暦をすぎ、現役時代の事は大分色褪せてきましたが、この入替戦の事は鮮明な記憶のまま残り続ける事になると思います。

 最後になりましたが、現役の強化、OB会の運営、テニス部発展のためにご尽力いただいている立教学院関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

 そして、100周年おめでとうございます。