個人競技をチームでやること

・100周年のうちの4年

 立教大学体育会テニス部は創立100年目を迎えましたが、100代100色のカラーがあったと思います。在籍できるのは引退までの4年、いや実質3年半のみです。その中で自身の代を含め4代在籍する事には大きな意味があると私は考えます。どの学年の時に、どのような役割を求められているのか?その代の先輩方、もしくは自身たちはどのようなチームを作りたいのか?この組み合わせが全く異なっているチームを4回経験できる事は将来の環境変化への対応力向上にも繋がります。

 私は今社会人1年目ですが、既に職場の環境変化が3回ありました。様々な年齢層を含む同期をまとめる事、現場で働く事、ひたすら座学、求められていることも実際に取り組むことも大きく異なっていました。その中でもなんとかやっていけているのは、テニス部での経験があったからです。

・テニス部

 テニスが個人競技というのは言うまでもありませんが、それをチームに在籍して活動するということは特殊な環境だと考えられます。なぜなら、世界を転戦しているツアープロは自身を中心にチームを組んでいるからです。錦織圭はご存知の通りマイケルチャンやIMGアカデミーのダンテコーチを中心に、フィジカルトレーナーやコンディショニングトレーナーを招聘してツアーを転戦しています。

 テニス部ではどうでしょうか?最近は女子マネージャーのサポートも頂いていますが、前提としてプレーヤーが集まってチームが結成されているという点でまず大きく異なります。また、監督コーチ陣、現役強化本部、理事会などOBOGの先輩方によるサポート組織の存在と関わり方も、プロのチームとは大きく異なる点です。
要するに、自身が強くなる為だけに活動をしているわけではないということです。自身の強化もさることながら、部内におけるリーダーシップの発揮(チーム全体の強化、学年を超えた報告連絡相談)や、多様性を学ぶ活動(ARTプロジェクト、デフテニスなど)を踏まえた、テニスを通じた人間形成がゴールです。

・私の4年間

 ただ敷かれたレールに沿っていてはゴールに辿り着くことはありません。これは私が4年間を経て得た答えです。本気で勝ちに行くこと、を前提にテニスを通じた人間形成が成されます。

 パンパンに張り詰めた中で戦い抜いた1年、色んなことに手を伸ばした2年、手を伸ばしたけどどれも中途半端な3年、注力した4年。2行で表すとこうなります。勝つ為に徹底して考え、実行し、間違っていると昇さんに詰められ、悩み、(胃が荒れ)と繰り返したのは最後の1年間だけだったと感じます。それまでは、先輩についていきつつ、本気でやっているつもり、でした。

 しかし1番良くなかったことは、やれることを全て自分でやろうとしたことです。私はチームで活動していたのにも関わらず、後輩はおろか同期にすら頼らず考えたことが多かったです。1人の力は弱いです。引退したリーグ最終戦も3部3位という中途半端な結果を残し、最後まで怒鳴られ、テニス部に入部したことはおろかテニスを始めた事すら後悔しました。

・テニス部として求められていること

 当然、昇格や王座優勝と言った所属するカテゴリーの最上位を狙い、目標を達成することが求められています。それを実現するのは、チーム力の強化です。これは最も難しいことです。考え方も、プレースタイルも、性格も、ありとあらゆるものが異なる個人が集まった中でのチーム力強化です。幾度となくぶつかり合い、勝つ為の環境を皆で話し合いながら一歩ずつ進んでいくチーム。これこそが、個人競技をチームでやることの最大の意味であり、強いチームを作る方法であると考えます。

 口で言うことがとても簡単で、実現することが極めて難しいことです。テニス部を離れて考えて見えてきたことでもありますが、私はこの課題に最前線で挑戦する権利がもうありません。OBとしてサポートすることしかできません。

・最後に

 挫折の歴史は私の代だけで終わり、後世のチームが同じ思いをしないようテニス部の101周年目以降を迎えたいと思っております。

 先代の先輩方には見苦しい文章であったとは思いますが、ご容赦ください。

 同期のみんなへ、たくさん迷惑かけました、ごめんなさい。

 後輩たちへ、最後に喜べるよう結果出すまで苦しんでください。辛い時は美味しい食事をご馳走します。