体育会テニス部創部100周年によせて

 

%e5%90%89%e5%b2%a1%e7%b7%8f%e9%95%b7立教大学

総長

吉岡 知哉

 

立教大学体育会テニス部が創部100周年を迎えられたことを心からお慶び申し上げます。

体育会テニス部が野球部(1909年)、柔道部(1914年)に次ぐ第3の運動部として誕生した1916年(大正5年)、立教大学はまだ築地にありました。既に池袋校地では移転に備えて建物の建設が始まっていましたが、テニス部は池袋キャンパスよりも2年早く生まれていることになります。当時は第一次世界大戦の最中でありロシア革命に続いていく時代ですが、明治維新から半世紀を経た日本では、大正浪漫、大正デモクラシーという新しい思潮が広まっていった時期でもあります。テニスは、流行の最先端のスポーツであり、当時の雑誌の表紙等には、モボやモガがテニスのラケットを持っている図柄が見られます。体育会テニス部が、大正のモダンで自由な雰囲気の中で生まれ、その歩みを始めたことは、記憶しておいて良いことだと思います。

テニス部の1世紀に渉る歴史については、他の方々が詳しく記されることと思いますが、テニス部が1928年に開始した同志社大学との定期戦が、体育会全体の同立定期戦の嚆矢となったことは特筆に値するでしょう。同志社大学との交流はスポーツに限らず、グリークラブや交響楽団等の交歓演奏会として現在に至っています。

テニスは多くの人々によって楽しまれており、生涯スポーツの代表のひとつともされていますが、同時に肉体的にも精神的にも最も過酷なスポーツであるとも言われます。確かに一度コートに立てば、瞬時の判断も戦術や戦略の組み立てもたった一人で(ダブルスの場合はたった二人で)行わなければなりませんし、試合時間もグランドスラムの男子シングルスなどは、フルセットだと数時間に及びます。そのように激しい個人競技(あるいはペア競技)だからこそ、部としての活動におけるチームワークが大切とされるのでしょう。そして、大学スポーツが団体として戦われるのも、チームとしての総合的能力を競い合うということに教育的意義を見いだしているからに違いありません。

最後に個人的な思い出を記しておきます。かつて池袋キャンパス新学院グラウンドの奥の6号館裏にテニスコートがあり、授業時間以外は女子テニス部(まだ男子部との合併前の話です)と軟式庭球部(現ソフトテニス部)が練習に使っていました。当時6号館には私が属する法学部の研究室があったのですが、ほぼ毎日昼休みになると、野村浩一、淡路剛久、伊沢和平、舟田正之といった法学部の諸先生がそのコートでテニスをしており、私もある時期、一緒にテニスを楽しみました。時々女子テニス部員も加わってくれていたことを覚えています。夕方暗くなる頃には、「全面ラストでーす」というかけ声が響いていました。もう20年以上前の懐かしい思い出です。

近年、錦織圭の活躍もあってテニスの人気がまた高まっています。テニス部も部員が増加していると聞きます。大学スポーツは単なるレクリエーションとは異なり、常に勝利を目指すところに意義があります。1世紀の歴史を踏まえ、さらに強いテニス部として、立教大学の栄光を表わすべく、ますます発展することを祈っています。