伝統と学生スポーツの意義

提供者: 昭和43年(1968)-沢松忠幸。 区分: 寄稿文

 
 創部100周年心からお慶び申し上げます
 歴史を国家や民族、個人の自分史などマラソン競技に例えると、伝統は駅伝であり次々と人から人へ受け継がれ、守るべきものだと思います。
 この機会に自己の体験を振り返り学生スポ-ツの意義、伝統について愚考してみました。
新幹線で上京の折富士川を渡り、車窓から富士山を仰いで間もなく就職後初めての勤務地協和発酵富士工場が見えてきます。
私には此処で敬愛した3年歳下の後輩故宮下好人君(享年55歳)との思い出が蘇ります。
彼とは、高校(県立静岡高校)・大学・会社と同じ道を歩んできました。
彼らは1966年インターハイ(秋田)で念願の学校対抗初優勝を成し遂げました。
大学4年の時、リーグ戦で彼とのペアで早稲田戦など戦った思い出があります。
この年は、残念ながら1部優勝は成りませんでしたが、三浦允行、有馬八郎、佐藤俊彦、大石正光、故若杉正明(2011年12月6日逝去)が同期で戦いました。
 学生時代、私は多くの人達に恵まれ、庭球部で貴重な体験をさせていただきました。
中でも、高校、大学の先輩・高橋道男氏、松下充孝氏(共に1964年卒)のご薫陶始め故三町監督の経営する日東坂戸本社2階での原田さん(1967年卒)との共同生活から読書の習慣も身につき、1年先輩の倉光さんにもよく練習をしていただきました。
広瀬省三先輩からはテニスの基本技術を学びそれを娘・奈生子に伝えることができました。
 卒業後は、会社の配慮で練習環境に恵まれた富士工場に勤務し、3年後入社した宮下君と全日本、毎日、関東選手権など、仕事に支障のない範囲で出場し、全日本は準決勝で坂井・神和住組に負けましたが、その年のランキングは3位に入りました。
早朝練習、勤務後のランニングなど仕事とテニスの両立を目指した賜物だと思います。
1974年ウィンブルドン・ミックスダブルスに妹和子と出場する機会に恵まれ(ベスト16)、それを最後に仕事に専念することにしました。
テニスの時間を英会話の勉強に費やし、海外事業本部に転勤後、33歳から5年間ドイツ・デュッセルドルフに家族共々赴任、欧州でのビジネスとクラブライフを体験しました。
「川の流れ急にして月変わらず」と云う言葉があります。
急流でも川面に映る月の姿(伝統・礎)は変わらないと云う意味だと思いますが、学生時代の運動部体験は、長い人生で苦難に直面した時の貴重な礎となっています。
 課題の多い学生スポーツ界ですが、「自己責任」が益々厳しく求められています。
現役諸君にお願いすることは、自分の頭でよく考え、行動してほしいということです。
学生スポーツの意義である勝利を目標とする猛練習と達成感、リーグ戦でのプレッシャーに耐える精神力など、歴史あるスポーツ・テニスから得ることは多くがんばってください。
学生スポーツの意義が我がテニス部の伝統として次の走者に伝えられる事を期待します。
そして、卒業後60有余年の人生を有意義に過ごしていただきたいと願っています。以上