リーグ戦の思い出

提供者: 昭和60年(1985)-沢井清隆。 年度: 昭和60年(1985)。 区分: 寄稿文
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昭和60年
澤井 清隆

立教大学体育会テニス部創部100周年おめでとうございます。100年に渡る歴史の中に私の現役生活4年間も刻まれていると思うと、とても感慨深く誇りに感じます。

昭和56年4月(正確には2月)から体育会硬式庭球部の練習・リーグ戦合宿に同期の藤原と共に参加させて頂き、私の大学生活が始まりました。田鍋主将のもと1部昇格を目指し、最初のリーグ戦では早稲田大学との入替戦に臨み、4対4で庄野さんVS白戸さんの激闘の末、残念ながら2部残留となり、試合後の「集合」で4年生全員が涙し話す姿に、「来年こそ1部昇格を」と強く決意したことが記憶に残っています。

翌年は、庄野主将のもと1部昇格を目指し、私自身もシングルスのメンバーとして出場させていただきました。が、専修戦で、ファーストアップ、セカンド5-2から逆転負けをしてしまい、とても苦いリーグ戦となりました。その年は筑波大学との激闘があり庄野さん大井さん藤井さんの強さを目の当たりにし、自分の力不足を痛感した年となり、残念ながら1部昇格はできず2年連続でとても悔しい思いをしました。

私が3年生となり、4年生は藤井主将・阿部主務・小沢マネージャーの3人で主力メンバーは私達3年(藤原・笠原・川本・渡井・澤井)というチームでリーグ戦に臨みました、その年は初戦の専修戦で私が負けて4-5で負けてしまい、その後、早稲田(辻)東海(中野)と下級生に負け、藤井さんは全勝していただいたものの、日体大と3部入替戦にかかってしまい、4-5で負け創部以来初の3部降格ということになってしまいました。いまだに3部落ちは私の責任と思っていて、この場をお借りして先輩方に再度お詫び申し上げます。

4年生となり、最後のリーグ戦を迎え、前年の屈辱を晴らすべく2部復帰を我々の手でとチーム一丸となって戦いました。私にとって一番記憶に残っているのは、学習院大戦です。前年の練習試合で負けている相手(永山)とシングルスで再戦したのですが、不思議なくらい体力・気力・体のキレが充実し、永山の強打を返し続け5-7・7-5・6-2で逆転勝ちし、チームに勢いを与え5対4で勝利しました。振り返ると、合宿のスマッシュ練習で後輩の森本にロブを上げ続けたことで永山のスマッシュを拾いまくることができ、試合前日のミーティングで藤原からのアドバイスで迷いが吹っ切れ、最後まで声をからして応援してくれたチームメイトに後押しをされて勝つことができました。皆には迷惑をかけた分、やっと勝利に貢献できた私のリーグ戦ベストマッチです。そして筑波に乗り込み入替戦に勝利し2部復帰を果たすことが出来ました。

4年間のリーグ戦を思い出すと、個人的には苦しいことの連続でしたが、先輩・後輩に支えられ何物にも代えがたい経験となり、私の心に刻まれています。

現役諸君には、「今できる事を全力で、そしてチーム一丸」となって立教テニス部での2度とない貴重な時間を過ごしていただきたいと願っています

P.S. リーグ戦を一緒に戦った現役最後の使用ラケット「YONEX R-27」です。

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