テニス部の思い出

提供者: 昭和42年(1967)-原田正明。 区分: 寄稿文

 
 創立100周年おめでとうございます。

 私達の学年は、卒業して50年になりますので、丁度真ん中の卒業という事になります。

 テニス部での思い出は、1年生の頃の事が、強く印象に残っています。なかでも、広島県立皆実高校を卒業前の3月、大阪の服部緑地でのリーグ戦まえの合宿に、同郷の廿日市高校の石井君と米1升を持って参加し、米がえらく重かったのを思い出します。

 推薦入学は、石井君と大阪の桃山学院からの笹山君の3人で、あとは、立教高校からきた人たちでした。

 合宿が始まって3日目位に、1年生が部屋に集合させられて、2年生に全員一発気合いをいれられました。今は、大変な事ですが、高校の1年先輩が、明治大学の庭球部へ行っており、話に聞いておりましたので、心構えはありましたが、びっくりしました事を覚えています。

 私達が入部したときは、2部でしたが、入れ替え戦で勝利し、それからは、1部で頑張りました、当時は1部4校制でした。

 練習は、上板橋のグランドで、3時15分から暗くなるまでで、それから、トレーニングで陸上グランドを10週、腕立て、腹筋でした。最初の頃は、一般から入った人も多くいたのですが夏まで、ほとんどが続きませんでした。

 私は、4年間、1年後輩の石川君(沢松)と一緒に、当時の三町監督の会社の事務所の2階に居候させて頂きました。監督には、公私ともに大変お世話になり、感謝しております。卒業して、そのまま会社へ就職して、現在に至っております。

 思い返すと、我が青春は、テニス部と共にあり、立教のテニス部に入って本当に良かったと思います。楽しいことも辛いこともあったけれど、それらを含めて大切な経験が、社会に出て役立ったように思います。おかげ様で現在もテニスに関わりたくさんの人との出会いがあります。私達の人生も後半となってきました。同じ釜のめしを食った仲の、同期生とは、今もよく会っています。テニス部の先輩があり、後輩があり、お互いに知らなくてもなにか繋がっている様に思うのです。これからも歴史を重ねて、末永く続いて行きますよう、後輩の皆さんの、宝のような多くの経験と活躍を心から期待致します。