テニス部の思い出

提供者: 昭和58年(1983)-庄野俊夫。 区分: 寄稿文

 

 大学生活の1年・2年3年・4年。どの学年が一番いいか? と考えるとやっぱり2年が一番だ。

 大学1年は何もかもが新鮮であるがわからないところも多く、また、テニス部でいうと最下級生でコート整備やボールボーイといった仕事も多い。コンパでは先輩にビールをついだら3倍飲まなくてはならず、必ず1人はつぶれていた。自分も新歓コンパで急性アル中になり救急車に乗ったが、当時は苦しかったものの、今ではいい思い出でもある。

 2年生になると下級生もでき(残念ながら2人しかいなかったので雑用から開放されたわけではないが)年間のペースもつかんで少し余裕ができつつ、まだまだ新鮮なことも多く一番楽しかったように思う。夏休みに全員で車を連ねていったマイパーテイ旅行、同志戦の後の夜の交流、ホテルでネクタイ着用+彼女同伴が原則の追出コンパ・・・etc.

 リーグ戦では、青学との試合でダブルスNO1として同期の大井君と組んで出場。春関でシードされた中野・小林ペアに奇跡的に勝ってダブルス2-1とリード。当時はまだ5セットの2日制で、これで入れ替え戦にいけるかも・・・と夜を迎えたが、翌日は流れが変わり残念ながら負けて入替戦に行けなかった。でも少しはダブルスの自信になりました。

 1・2年の時は、格上の人が多く勝てないことも多いけど、うまい人と試合で挑戦できるのが楽しい・・と同時に少しでも自分の力が通用するとわくわくしてた気がします。

 3年・4年になると上の人が少なくなってきて自由になる反面、責任も重くなって、わくわく感が少なくなった気がします。

 3年の一番の思い出は、もちろん1部早稲田との入れ替え戦でポイントがかかったジャパン選手の白戸さんとの試合ですが、ATPポイントを取り損ねた事も、もう一つの思い出です。(といっても実力でというわけではないけれど・・・) 概要は、ジャパンオープンの予選に出場して外人選手にあっさり負けたのだが、翌日の本戦に朝9時までに行くと、欠場の選手が出た場合に代出場できるラッキールーザーの権利があるとの事。でも主将として練習があるし、どうせ欠場なんかいない・・として行かなかったところ、後輩の藤井君がラッキールーザーに行って、外人の欠場が多かった為出場でき、ATPポイントをもらってきたとの事。後で聞いて、行っておけばATPポイントがもらえて話の種になったのに・・とちょっと残念な思い出です。

 ほかにも書きつくせないほどいろいろな思い出があり、2年が一番と書きましたが、4年間、それぞれの学年で楽しかったです。現役の学生諸君は、是非楽しんで、いろんな思い出を作ってください。