セントポールテニスクラブ創部100周年に寄せて

提供者: 昭和40年(1965)-佐藤勇。 区分: 寄稿文

 
 セントポールテニスクラブが創部100周年を迎えますこと、卒業生として心よりお慶び申し上げます。

 私の学生時代は、かれこれ半世紀も前のことになってしまいますが、その頃全力で取り組んだことと言えば、やはりテニスです。

 今では古希も過ぎ、もちろん当時のように機敏には動くことはできませんが、現役時代はラケットを持てばどれだけコートを走っても疲れませんでした。それだけ熱中していたものです。

 時は高度経済成長期。学生運動も盛んな時期でありました。当時は天皇陛下と美智子妃殿下が軽井沢のテニスコートでテニスを通じて知り合ったことから、「テニスコートの恋」と呼ばれ、テニスが脚光を浴びていた時期であり、テニスをしているだけで羨望の眼差しを受けたものでした。だから打ち込んでいた、ということはありませんが、同期の桜と、昨日の敵は今日の友を繰り返しながら、テニスの腕を磨き、そういった時代の流れも追い風となって、テニス人口を増やしていったものでした。
 
 大学を卒業後は、国会議員の大石武一先生の秘書をしながら政治の勉強をさせていただき、宮城県議会議員、そして議長を務め、現在は宮城県栗原市長として、ラケットをペンに変え、テニスボールではなく市民の幸せを追いかけて、市内を縦横無尽に走り回り、毎日汗をかいております。「市民が創る くらしたい栗原」を市政運営の理念とし、日本一住みよいまちづくりと、栗原独自の地方創生に全力で取り組んでいるところであります。テニスをする時間も無くなりましたが、テレビでは拝見しており、錦織圭選手など、若い皆さんが世界を舞台に活躍している姿を、自分が戦っているかのように熱くなって観戦しております。

 時代は巡り、世代も巡ります。老兵は死なず、ただ消え去るのみですが、年長者の経験から、現役の若い皆さんに一言言わせてください。

 常に情熱を持ち続けること。私の政治信念として「情熱・改革・実行」の3つを掲げております。これは人生の信念でもあります。気持ちで負けたら、うまくいくものもいきません。明日できることも今日やるぐらいの気持ちで、常に前進する気構えでなければ、人間の進歩はありません。昔の若者と今の若者では社会情勢も違うため、一概に言い切れませんが、ぜひ心に留め、テニスや学生生活、そして社会で活躍されるための皆さんへのエールと思っていただければ幸いです。

 結びに、部員皆様の御健勝と御活躍、そしてセントポールテニスクラブが200周年に向けて今後益々発展することを心より御祈念申し上げまして、励ましの言葉といたします。