『立教大好き』 

提供者: 昭和55年(1980)-大塚直人。 区分: 寄稿文

 この度はセントポールテニスクラブ100周年お目出度うございます。私もその中の四年間はその中に居たと思えば我ながらその歴史の証人の気になってしまいます。私は立教中学・立教高校・立教大学と世間で言えば、エレベーター、そこそこのお坊ちゃまと言われて来ました。がしかし全然そんな事はありませんでした。父親は自分の出身である早稲田大学に入れるべく小学校四年時より塾に入れ私も努力したのですがすべり止めである立教中学に入学し、後から考えれば素晴らしい歴史あるテニス部に入部した次第です。

 中学・高校とテニスを続け大学では別の道に行こうと思っていた時に一学年上の先輩から「立教にお前の力が必要だから入部しろ」と言われ。三日三晩考慮した上で決断しました。高校時代の厳しい練習で体力的には自身もあり大学ではある程度自分でやりたい練習をする時間を頂く事が出来ました。がしかし大学二年生の健康診断で特性心蔵拡大症と診断され、日大病院に三週間入院する事になりました。結局体の方は生まれつきという判断となり、あれから四十年近く何事も無く過ごしています。

 さて、個人的な話は終わるとして、話をテニス部に戻すと私自身未だにリーグ戦の時季になると体が疼いてきます。それは何故かと考えると、勿論、母校の勝利もそうですが、先輩・後輩に再会できる場になっているからです。しかしながら私が応援に行くと立教が敗れるという定説が出来つつある。現役諸君達には私が応援に行くと必らず勝利して欲しい。OB・OGは応援する事しか出来ないのだから。やはり立教が勝てば嬉しいし敗れれば悔しい、OB・OGは皆そう思っていると信じています。やはり勝負事は結果がすべてです。私が大学一年生の入部時に一部校六校制となり四年間すべて二部の三位という位置にいました。上下どちらの入替えにもかからずある意味一番つまらない立ち位置でした。でもプラスに考えれば、関東大学リーグの中でもプラスに考えれば、関東大学リーグの中で常に上から九番目に居続けられたという事は今から考えると立派な事だろ思います。

 私の同期は三人しかおらずかつ、中学・高校・大学と主務をしていた関係で就職もOBの方の会社に入りました。先輩も後輩も多い会社で負けられないと云う気持ちもあり頑張ったものです。思い起こせば、大学を卒業し、早々36年、周囲には立教の影が付きまわっていますし、この事は自分が死ぬ迄、変わらないと思います。今ではリーグ戦は応援する事しか出来ない私及びたくさんのOB・OGが影ながら期待・応援している事を忘れずに、日々を大事に一生懸命努力して頂きたいと思っています。それとは別に立教全体のクラブ、ラグビー・アメリカンフットボール・硬式野球の雰起も期待しています。新聞の記事に立教大の名前が出ると非常に嬉しく思います。以上
 
 立教大好き男です。立教ファイト