「立教女子テニス部最後の部長時代の思い出」

2016年1月記

創部100周年という長い歴史の記録の1コマに私も加えて頂き、大変名誉なことと感じております。

私は、1990年、文学部の権先生から交代の依頼を受けて、女子テニス部の部長に就任し、その後、男子部と女子部の統合があって副部長になり、2008年に、同じ法学部の伊沢和平先生にバトンタッチするまで、20年近くお付き合いしました。

部長に就任した頃は、監督が広瀬省蔵さん、コーチが鈴木康正さん、大塚直人さんで、夏の合宿などでご一緒しました。写真は、1994年、監督・コーチと淡路剛久先生、私が参加した新歓の会合です。

当時は、部員の数も少なく、成績もどん底に近い状況で、そこから這い上がろうとみんな必死になっていました。

体育会各部の予算などの配分の会議などにも出ましたが、施設面で、よりよい練習環境にするため多くの課題がありました。しかし、池袋キャンパスの6号館裏にあった神学院コートは、貴重なクレーコートで、部員が丁寧に管理・整備し、私たち教員(理学部の栗原謙二先生、法学部の淡路先生、伊沢先生など)も昼休みなどに一緒に使わせて頂いて有り難いことでした。今はなくなってしまって残念です。

就任初期の頃は、有力な高校生を立教に誘致するために、毎年学生部で勧誘の手紙を書いて出す作業を行い、また1993年に始まった自由選抜入試(当時はアスリート入試も含む)に有力選手を受験するよう勧誘するなど、部長として若干のお仕事も致しました。

私のテニスは、まさに「下手の横好き」で、学生諸君に指導するどころか、練習に参加する実力もなく、コートの外から応援し、年に何度かの会食に参加する程度でしたが、お陰様で楽しい思い出が沢山できました。

女子部の多くの諸君には、「顧問の先生」として親切にお付き合い頂きました。平成6年卒の加藤(旧姓、吉川)明美、平成7年卒の山崎江津子、清水(藤井)智子、平成8年卒の鈴木麻衣、平成9年卒の柳(阿部)玲子、平成10年卒の須賀(吉田)涼、平成11年卒の白井(畠中)暁子、金谷(岩本)美幸、平成14年卒の平原二三子、平成16年卒の石原(吉井)悠子等々懐かしく思い出されます。平成14年卒の稲垣舞と藤井学は、私の担当したゼミの受講生だったので、ゼミ合宿では2人にテニスの相手をしてもらったなどのこともありました。(敬称略。年度や名前など間違いがあるかもしれませんがご容赦下さい)

また、男子・女子テニス部のOB・OG会では、特に女子テニス部の創設メンバー、(故)野田昌子・八木下紗繪子の両氏とも親しく懇談する機会がありました。野田昌子氏のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申しあげます。
私は、2012年に立教大学を定年退職しましたが、テニス部のメーリングリスト等で学生諸君の活動に接し、心強く思っております。

今後とも、立教のテニス部現役諸君、またOB・OGの皆様のますますのご活躍とご発展をお祈り致します。