「敗戦から学ぶ」

提供者: 昭和44年(1969)-須田健治。 区分: 寄稿文

 
 私は中学時代は軟式テニスをやっていました。埼玉県大会にも出場しましたが、緊張して実力が発揮できずに、一回戦で敗退しました。 その後、立教高校に進み硬式テニス部に入部して、朝早く整校し、 テニスコート脇のボード打ちを一人でやっていた事を思い出します。

 高校時代は県大会ではいつも実力を出せず、敗けていました。そんな時、恩師であるチャプレンのお話を聞き、私のテニス人生は変わりました。

「君はいつも勝とう、勝とうとしている。しかし、大切なことは勝敗ではない。自分の実力の全てを出し切れれば悔いはないはずだ。落ち着いて、自分のカを出し切ること、そういう試合をやってみなさい」 と言われました。

 以来、私は試合に挑む考え方を変えました。勝とうと思うよりも自分のカの全てを出せますように、と祈りました。

 実カのすべてを出し切る努力と、結果を受け入れ次のステップに生 かすこと、このことを心がけ試合に臨んだ結果、インターハイにも出場することができました。その後、立教大学でもテニス部で活動させて戴きました。

 とは言うものの、大変残念ながら、私が主将の時、関東一部リーグ 戦四校の中で最下位となり、入替戦も敗れ、二部に転落いたしました。 私はリーグ戦で全敗し、栄光ある立教大学テニス部の名誉を汚した者としてあらためて探くお詫び申し上げます。

 しかし、立教大学テニス部で、試合での敗戦も含め多くの経験をさせて戴いた事が、私の宝物であり、その後の人生の原点になっていま す。

 大学卒業後、三越本店動務を経て、地元新座市に帰り薬局を開業、 兄弟で三店舗を経営して来ました。

 そんな中、地域の方々の応援もあり、市議会議員三期当選の後、平成四年新座市長戦で初当選、六期二十四年を務め、新座市政発展に全力投球してまいりました。バブル崩壊後の厳しい財政状況の中で、市長として市政運営の舵取りは苦労の連続でありましたが、「市民の皆様との連帯と協働」をスローガンに、新座市の特色である「都会の利便性といなかの心地よき」を生かして、元気の出るまちづくりを進めて参りました。

 この間、新座市内に所在する私の母校でもある立教新座高校に中学校が新設され、更に新設学部を中心とした立教大学新座キャンパスが 新たに整備されました。

 立教学院の皆様には新座市政に御支援と御協力をいただき、心から御礼申し上げます。

 市長として大切に守ってきたことは、「誠実に、すべてに全力で」と いう、テニス部で学んだ考え方でありました。正にチャプレンの教えに通ずる、自分のカの全てを出し切ること、結果は受け入れ、努カを続けること、即ち「人事を尽くして天命を待つ」を信条として、新座市発展のために職務に精励してまいりました。今後は立教大学テニス部発展に徴カながら協力させていただきたいと思います。

 立教大学テニス部創部百周年、誠におめでとうございます。