「人生のコアを作ってくれた立教テニス」

提供者: 昭和57年(1982)-田鍋文啓。 区分: 寄稿文

 
 立教大学体育会テニス部創部100周年おめでとうございます。と同時にこの記念すべき時に自分も関わることができて幸せな思いです。
 
 自分は中学から10(11)年間を立教の学生として生活しました。
 
 小学校で少年野球をしていた私は毎日ジャイアンツの野球帽をかぶっていて、立教中学に入学が決まったとき当然憧れの長嶋さんの野球部に入部したいと思っていました。しかし、あまりの入部希望者が多かった野球部のグラウンド脇のテニスコートで華麗にラリーをしている先輩の姿がとても楽しそうに目に映り、「楽しそう」「個人種目をやってみたい」という思いで、フラフラとテニス部に入部してしまったのです。これがテニスとのファーストコンタクトです。でも今ではこの選択が自分の人生で最も重要な分岐点で正しい選択だと思っています。
 
 中学では西村先生の熱血指導のもと上手くなりたくて家の駐車場で壁打ちをして隣の家の窓ガラスを何枚割ったことか。高校では寮に入り、早朝のコート整備から毎日が始まり、県大会やインターハイでは個人戦であるテニスの団体戦での面白さ、プレッシャーを知りました。
 
 大学時代はと言うと、まさにテニスブーム真っ盛り!「ポパイ」「JJ」ではテニス特集が組まれ、テニス界の大変革「デカラケ」も登場、キャンパス内にはラケットを持ったお洒落な学生があふれ華やかなムードの中、毎日自宅からスポーツサロンかとう→学食→富士見グラウンドという繰り返しの毎日が日常でしたが、自分の中では厳しく苦しいという体育会のイメージを変えて何とか皆の誇れる、憧れの存在の体育会にしたいと思っていたのを覚えています。
 
 そんな環境ですから当然、同好会に行った高校同期の仲間も多いのですが自分の中ではその間に壁は感じていませんでした。4年最後のリーグ戦、1部の早稲田との入れ替え戦に同好会に入った同期の仲間が応援に来てくれたことは本当に嬉しく自慢できることだと思っています。残念ながら1部昇格は叶いませんでしたが、この日の事は今でも時々思い出します。
 また、大学5年生の時、品川プリンスホテルのテニスコートで中島幸彦先輩から声をかけていただきアルバイトをしたことがきっかけで仕事もテニスに携わる事になりましたが、この出会いもまた人生の転機であり運命だと思います。
 
 今思うことはテニス部のおかげで良くも悪くも現在の自分の身体、精神、考え方が形成されたということです。現在でもベテランの試合にときどき出ていて、他校出身の友人たちとも話す機会はありますが、いつも立教テニス部のまとまりを羨ましがられます。小学校から大学、OBになった大先輩も1本の糸で繋がることができる部は稀有ではないでしょうか?リーグ戦の応援に行って立教小学校、中学校の部員が一所懸命応援している姿を見て、涙が出そうになりました。
 
 自分はどちらかというと冷めた性格なのでテニスとの関りも客観的、俯瞰的になっているかもしれません。でも人生のコアとなっているのはましがいなく立教テニスです、今回の投稿に当たり過去の出来事を振り返ると人間関係、仕事関係、プライベートも含め、すべてにおいて必ずテニスが関わっていることに改めて気が付きました。
 
 そんな素敵なテニスと45年も付き合っているのですから身体の続く限り、一生涯続けて行きたいと思っています。同級生、先輩、後輩、立教テニスありがとう!

昭和57年卒 田鍋文啓