「五十年前のテニスコート」

提供者: 昭和43年(1968)-佐藤俊彦。 区分: 寄稿文

 今から五十年前、私が現役の頃の大学のテニスコートは、現在の板橋区城北公園になっている場所にありました。春になると、コート脇の道沿いの桜並木が奇麗だった印象が、今でも残っています。
 当時の日本では、殆んどのテニスコートがクレーコートでした。オムニコートはありませんでした。クレーコートでは、毎年春になると、土を掘り起こし、上下の土を入れ変えなければ、良いコートにはなりません。私達は、そのコート作りの殆んどの部分を、自分達でやっていました。まず土を掘り起こします。耕運機など持っていませんので、鍬やスコップを使い、人力で掘ります。そんな作業を経験した事のない私達にとって、重労働でした。次に職人さんの手を借り、荒木田という新しい土を入れて整地します。その上に、ローラーを掛け、平らに、硬く仕上げていきます。エンジン付ローラーなどありませんので、自分達で何度も何度も引っ張ってローラーを掛けます。始めは表面が凸凹なので、ローラーも非常に重く、なかなか平らになりません。硬く平らにしないと、雨が降ると水が留り、早く使えるようにならないので、出来る限り平らにします。今思うと、シーズン前の良いトレーニングだったのかもしれません。
 次はライン引きです。石灰を水で溶き、箒の小さいような刷毛を使い画いていきます。濃かったり薄かったり、太かったり細かったり、経験が必要です。ラインは消えてしまうので、練習前には、ブラシ掛けとライン引きは下級生の毎日の仕事です。
 ネットのポールは木製でした。古くなると折れる事もあり、側面に木を打ち付け補強して使いました。ネットもよく穴が空きました。白帯とネットを針と糸で縫いながら使いました。巻き上げる金属のロープも。よく切れましたが、ロープを結び合せて使いました。何んでも自分達でやりました。テニスもコーチなど居なく、自分で考え、工夫し練習しました。ボールを打つ以外、ランニング、腕立てふせ、腹筋、ジャンプ、うさぎとびがトレーニングで、ストレッチ、ウォームアップクールダウンなどの考えはありませんでした。そんな時代でした。
 学生時代に、部活動を通して、学んだり、経験した事が、その後の人生に役立った事は間違いありません。退職後にテニスを再開し、新しい人との輪も広がり、テニスをやって本当に良かったと思う、今日この頃です。