創部100年おめでとうございます。

提供者: 昭和61年(1986)-佐藤昭一。 区分: 寄稿文

 
 大学を卒業して30年、思い出すと懐かしく楽しい4年間でした。1982年4月、受験勉強から解放され、福井県から上京して来た私には、キャンパスは想像以上にキラキラ輝いた華やか場所でした。しかし、そのような空気の中、なぜか体育会硬式庭球部に入部してしまったのでしたが、今となっては、入部の動機を全く思い出すことができません。

 当時の練習場は埼玉県の富士見グランドで、周りの景色は、私の田舎とほぼ同じで、ローカルバスが走り、田んぼや畑があり、練習後は昭和レトロな雰囲気の横山商店に寄って、駄菓子を買って帰るという華やかさとは無縁の大学生活となりました。

 庭球部の練習は、高校時代は同好会的な部活しかしていなかった私には当然厳しいものでしたが、何よりも「リッキョファイトー」と大きな声を出しながら練習することには驚きました。

 しかし、4年間頑張りましたが、残念ながら個人的には満足な活躍ができなかったため、練習や試合よりもコンパでの酒の失敗談など、テニスとは無関係な人にいえないような事ばかりが思い出になってしまいました。ちなみに先輩や同期からはニカウというあだ名で呼ばれていたことも地元では誰にも話してはいません。

 同期は大岡、山田、石川、森本、吉田、春日と自分7人で、テニスの実力、出身もバラバラで、それぞれ似ているところがまったくないメンバでしたが、まずまず仲良くやっていたと記憶しています。ただ、1年の冬に春日君が亡くなったことはとても残念で悲しい思い出です。

 また、先輩、後輩、OBの方々等、4年の間に、何十人もの庭球部関係者の人との出会いがありましたが、それぞれの方々について、なぜか卒業後の会社関係の人よりも鮮明に記憶に残っています。

 卒業後は、地元に帰ったこともあり、庭球部関係の行事には全く顔を出しておらず、大変、申しわけないと考えますが、後輩から送られてくる新聞で庭球部の様子がわかり、ありがたく読ませていただいています。特に後輩の記事で地方出身の部員の抱負の記事は、当時の自分のことを思い出すようで毎回楽しみにしています。

 また、昨年、突然、福井出身の後輩の高橋君が上司である白寄君と2人で自宅まで訪ねてくれたことは、びっくりしましたが、まったく面識がない人間同士でも先輩後輩として懐かしい話ができ、庭球部とのかかわりが無くなっている自分に庭球部OBであることを思い出させてくれました。

 最後に、今後もあまり庭球部の行事には参加できないと思いますが、福井の地から後輩たちの活躍と庭球部OBの皆様のご多幸を願っております。

 
以上