立教大学体育会テニス部創部100周年を迎えて

セントポールテニスクラブ会長
昭和42年 倉光 哲

 立教大学体育会テニス部創部100周年の記念式典に際しましては、日本テニス協会会長 畔柳信雄様を始め、テニス界関係の皆様、立教大学総長 吉岡知哉様、立教大学校友会会長 田尾兵二様を始め、立教大学関係の皆様のご臨席を賜る事が出来、またセントポールテニスクラブ会員の皆様には234名ものご参加を頂き、ご来賓の皆様と共に盛大かつ華やかな100周年感謝礼拝を執り行わせて頂きました事を、感謝を込めてご報告させて頂きます。

 さて、立教大学体育会テニス部は、大正5年、テニスをする同好のグループが大学に申請し、正式な運動部として認められて築地の地に創部されました。
2年後に大学の池袋移転に伴い、テニスコートも池袋キャンパス内に建設され、現在の第一学食の右側の地を始めとして、新学院をへて、大正13年より現タッカーホールの場所に4面を造り、太平洋戦争で部活動休止に至るまで使用されました。
戦後、部活動を再開し、現立教小学校の敷地をへて、昭和23年より理学部南側に5面のコートを造りました。
その後、昭和31年、セントポール・グリーンハイツが完成し、いわゆる上板橋コートに移転し、多数の名選手を輩出しましたが、東京都返還に伴い、昭和44年より現在の富士見総合グラウンドに移転しました。
また平成2年に建設された新座キャンパス内にも、ハードコート4面が造られ、人工芝化された富士見グラウンドのコートと合わせて現在に至っております。
また平成8年には、女子テニス部と合併し、あわせてOB会、OG会も一つになり、セントポールテニスクラブを発足させた先輩方の先見性には、今日のテニス部の現状を見るにあたり、心から敬意を表するところでございます。

歴代の中では、多数の名選手の輩出もございましたが、近年では世の中の体育会離れもあり、部員が減少し、ある学年では部員一名という危機的な状況も経験しながら、部活動を継続してきた時代もございました。
しかしながら、長年にわたるOBOGの皆様の結束力をもった現役支援に加えて、大学より体育会各部へのご理解とご指導、また奨励金制度によるご援助をいただき、その結果として部の強化はもとより、部員も増加し、本年度は64名の現役部員を擁するテニス部となりました。これもひとえに皆様方の暖かいご援助のお蔭と、この場をお借りして、あらためて御礼申し上げる次第でございます。
現在のテニス部は、学業とテニスの両立に加えて、部活動を通し、規律・団結・競争の価値を学び、ダイバシティ、リーダーシップの理解と実践により、社会に貢献できる人材の育成も目標としております。また国は「スポーツ立国・日本」という大きな目標を掲げてもおり、我々もそれを微力ながらも発展させていく所存でございます。
どうか今後とも101年目以降の立教大学体育会テニス部への、皆様のなお一層のご指導ご鞭撻を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
皆様のご繁栄と、立教大学の益々のご発展、そしてOBOG始め皆々様のご健勝を祈念いたしまして、わたくしのご挨拶とさせていただきます。